2009年9月30日水曜日

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」


チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(64年録音)
          ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(84年録音)
 元来、快楽主義的な傾向のある私のことですから、時には、美しく哀しい音楽に思い切り浸りたい時がある。今夜はそんな時だった。
 そんな時には、今のところやはりチャイコフスキーの「悲愴」を聴きたくなる。
 近頃では「悲愴」はムラヴィンスキーのばかり聴いているけれど、今夜は若い頃よく聴いていたカラヤンとベルリンフィルの64年録音盤(レコード)を聴いて、同じカラヤンとウィーンフィルのを聴いた。
 ベルリンフィルのは、壮年のカラヤンの、強く、凛とした感じが伝わるし、ウィーンフィルのは、もう晩年のカラヤンの、哀愁が深く伝わってくるような感じを受けました。
 どちらのカラヤンの「悲愴」も、今宵も、センチメンタルな感情を満足させ、美しい音楽に心身ともどっぷりと浸ることのできる素晴らしい音楽であった。名曲ですねえ。

2009年9月28日月曜日

太陽を曳く馬

太陽を曳く馬(上、下)(髙村 薫)新潮社 
 上巻の帯に、合田雄一郎という名が見えた。髙村薫さんが創りだした警視庁の刑事だ。彼が主人公の推理小説で僕が読んだのは、「マークスの山」(1993年)、「照柿」(1995年)そして「レディ・ジョーカー」(1998年)の三冊である。いずれも重厚な物語であるが、推理小説として十分面白く、僕は合田刑事が好きであった。
 「レディ・ジョーカー」で、合田刑事のシリーズは一応完結したかなという感じを持っていたのだが、その彼が10年以上もたって突然復活したのだから「オオッツ!」と思って上下巻大枚3,600円を払った。
 期待して読み始めたのだが、難解なことこのうえない。髙村さんの文章は、わかりやすいのだが、内容は哲学的、精神分析学的、宗教学的なもので、そういった方面に素養がなく、またあまり興味が持てない(あえて持たない)僕にとっては、理解が困難なページが連続する。
 事件の進展などはほとんどなく、心理的推理中心の難解な会話ばかりで、読み上げるのに一月以上もかかってしまった。
 この本は、はたして推理小説なのだろうか。僕はそう思って購入し、読んだのだが、もはやエンターテイメントとしての推理小説の域はほるかに超えている。読んでいてもちっとも楽しくなかった。理解しながら読み進もうと思えば思うほど苦痛になった。
 これは、もう推理小説ではない。
 みなさんはどんな感想なんだろうか。
 髙村さんの小説は、僕は上記の四冊しか読んだことがないけれど、この「太陽を曳く馬」のもう一人の主人公ともいうべき「福澤影之」を主人公とした小説が、「晴子情歌」と「新リア王」との二冊あるという。そして今度のこの小説がその三部作としての三冊目にもなるとか。
 なるほど、それが下巻の帯の文章「福澤一族百年の物語、終幕へ」になるのか。
 髙村さんの小説が好きな人には、じっくり読めて、たまらなく深く、面白いものであるに違いないが、僕みたいなエンタメ推理小説ファンにはちょっと重たすぎる小説でした。

アルプス交響曲追記

 僕は、個人的にはアルプス交響曲を「ウルトラセブン交響曲」と言ったりします。理由は、曲を聴いたらすぐにわかると思いますが。余計なことですが、毎回思うので。

アルプス交響曲


リヒャルト・シュトラウス アルプス交響曲作品64

カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 山から帰ってきてふと思い出したのがこの曲。このレコードを買った頃は、登山には全く興味がなかった。録音がすごいという評価だったから買ったような記憶がある。

 今改めて聴いてみると、とても美しい響きの雄大な曲である。

 一人の登山者が夜明けから山に登り、下山するまでの景観を描写した音楽で、「夜」から始まり、「日の出」「登山」「森に入る」などの表題がついている。「頂上にて」などは、はるかに広がる地平がまるで目に見えるような感じで、雄大の一語につきる。「雷雨と嵐」のシーンでは、そのための楽器まで作ったというから念がいっている。

 今日は、目をつむって聴いていたが、あまりにも雄大だったりで、日本の山とは、ちょっと違った感じを受けました。

 描写音楽としては、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」が有名だが、聴き比べてみるのも面白いと思います。

2009年9月27日日曜日

蓼科山、霧ヶ峰、美ヶ原




蓼科山(たてしなやま 2,530m)


霧ヶ峰(きりがみね 最高点は車山 1,925m)


美ヶ原(うつくしがはら 最高点は王ヶ頭 2,034m)
 八ヶ岳から下山して、茅野市の友人の別荘に泊めていただいた翌日22日は、友人が蓼科山まで同行してくれることとなった。


 蓼科山は、八ヶ岳山塊の北端に位置し、その美しい姿から「諏訪富士」とも呼ばれているようである。もちろん深田久弥さんの日本百名山の1峰である。


 あいにくの雲空であったが、友人の同行で、気持よく登ることができた。


 登山口は、白樺湖から車で行け、一番短時間で登ることができる7合目登山口である。大勢の登山で賑わうところである。


 登り始めは、気持のいい自然林の中であるが、将軍平の蓼科山荘を過ぎてからは、全てが岩歩きである。大きな岩がゴロゴロ、ゴツゴツしている上を、足をくじかないように注意して登る。


 山頂も岩石だけの殺風景なもので、ガスってよく見えなかったが、中央部が少し低くなって、真中に小さな社があるみたいだった。


 晴れていれば展望はいいのだろうが、何も見えず。友人が持ってきてくれた温かいミルクティーを飲んで下山した。山の中腹では、既に紅葉が始まっていた。


 登山口で、友人と別れ、僕はそのまま、百名山二山の頂を踏むため霧ヶ峰方面に。


 さすがにガスっているせいか、連休というのに車が少ない。車山の肩の駐車場もまだ余裕があった。 霧ヶ峰もその次に行く美ヶ原も深田氏によれば「登る山」ではなく、「遊ぶ山」なのだそうだが、時間のない僕にとっては、「山頂を踏む山」であった。高原の中の広い道をゆったりと登ればいつの間にか、大きな建物の建つ車山の頂に着く。登山という感じはまったくしない。ガスの中にもかかわらず、たくさんの観光客で賑わっており、ザックをしょって歩くのが恥ずかしいくらいだった。


 車山の肩に戻り、レストランで昼食を済ませて、本日の最終目的地美ヶ原を目指す。晴れていてばいいドライブコースなのであろうが、雲では周りの景色も楽しめない。


 美ヶ原高原ホテルの駐車場に車を停め、美ヶ原の最高点王ヶ頭から王ヶ鼻まであわただしく往復した。晴天であれば、ゆったりとした高原を楽しめたであろうになと思ったり、地元九州の九重高原や霧島高原も負けていないなとか思ったりして駆け足気味の往復となった。


 これがいけなかった。駐車場まであと1キロというところで左足の裏に痛みを感じた。しまった、豆を作ってしまったみたいだ。普段から登山以外では長時間歩くことが少ないから、足裏がすっかりやわになっている。


 高原ホテルに宿を求めて、風呂につかりながら足裏を観察したら、やはり大きな豆ができていた。


 ということで、後半のメインであった南アルプス仙丈ヶ岳と甲斐駒ケ岳は幻となった。無理をしないことが信条であるから、これでよしとしようとは思うけれど、やはり悔しい。


 よし、次は両山と御嶽を登ろうと決めて、帰路についた。


(6:55)蓼科山7合目登山口、 (8:08)将軍平蓼科山荘、 


(8:40-9:00)蓼科山山頂、 (10:03)7合目登山口、


(10:58)ビーナスライン車山肩登山口、 (11:24-40)車山山頂、 (12:01)車山肩、


(13:23)美ヶ原高原ホテル発、 (13:57)王ヶ頭、 (14:18)王ヶ鼻、 


(15:20)美ヶ原高原ホテル着 泊

2009年9月26日土曜日

八ヶ岳





八ヶ岳(やつがたけ 主峰は赤岳)
 硫黄岳(いおうだけ 2,760m)
 横岳(よこだけ 2,829m)
 赤岳(あかだけ 2,899m)
 阿弥陀岳(あみだだけ 2,805m)

 シルバーウィークを利用して八ヶ岳などを登ってきました。

 往復は自家用車で、走行距離はしめて2,155kmでした。高速代は4,600円。往きが2,100円で、不思議なことに同じ道だったはずなのに、帰りは2,500円でした。

 19日に茅野市着、車で入れる美濃戸山荘に宿泊し、20日に北沢から硫黄岳に登り、横岳の岩場を縦走し、赤岳天望荘に宿泊した。当初は、長距離運転の疲れもあるかもしれないので、安全をとって硫黄岳山荘に予約を入れていた。ところが登りがとても楽で、10時には硫黄岳に着いてしまった。

 そこで、硫黄岳山荘はキャンセルしていったん赤岳展望荘まで進むこととし、余裕があれば赤岳山頂小屋まで登ることとした。

 天気はめったにないくらいの快晴で、硫黄岳からの眺めはとても素晴らしい。硫黄岳の噴火口の跡は、覗き込むのが怖いくらいだ。これから進む横岳や赤岳の山並みがみごとである。

 横岳を縦走するところが、今回では一番危険な個所で、確かに両脇が切れ落ちたナイフリッジは、天候が悪ければちょっと怖い個所だ。だが、きちんと鎖が張ってあるし、天気は上々なので、ゆっくり歩けば心配ない。

 横岳の山頂からの眺めは、これまた素晴らしい。僕の山登りの中でも指折りのシーンであった。北アルプスの立山連峰や槍ヶ岳から大キレットを経て穂高の山々、中央アルプス、南アルプス、乗鞍岳、御嶽などが見渡せるし、富士山もこぶのない端正な姿ですくっと立っている。感動モノでした。
 天望荘にも12時半には着いてしまったので、赤岳天望荘から山頂小屋に電話を入れて、宿泊をしたい旨頼んだが、既に布団一枚に二人の状態だからと断られた。

 天望荘のほうも予約で満杯であったが、直前にキャンセルがあり、僕が泊まることができてまことに幸運であった。山小屋は、避難小屋的な意味もあり、本来は予約がなくても泊まることができるのであろうが、客の快適さの要求から、最近では予約なしには泊めなくなってきているようだ。事前によく調べて、必ず予約をしておいたほうがいい。こうなってくると、いざとなればキャンセルすることで、ダブル予約ということにもなろうか。考えないといけない。

 そういうわけで、幸運にも泊まることができた天望荘ではあるが、一人の宿泊スペースは幅50センチ程度のぎゅうぎゅう詰め、蒲団の代わりに寝袋が置いてある。まあ、このほうが個人のスペースがはっきりするからとか。

 ということで、夜はいびきを耳のすぐ横で聞くこととなったので、夜明けまでほとんど寝たという自覚はなかった。

 翌21日も快晴。ご来光が美しい。
 赤岳への登りは、とても急で、見上げるとずるずる滑り落ちそうに見える。小石の多い岩肌をジグザグに登るのだが、急なので要所要所には鎖が張ってあり、安全に登ることができる。何もなければ、ちょっと用心しないといけないような登りである。

 赤岳山頂小屋を過ぎると、山頂はすぐである。ここも360度の展望で素晴らしい。正面からは富士山の端正な姿が飛び込む。
 しばらく休憩して、中岳から阿弥陀岳に登ることとする。急降下して急登するコース。ちょっとためらったが、まあ、時間はたっぷりある。ゆっくりいけばいい。

 中岳のコルにザックをデポしてカメラだけを持って阿弥陀岳に登る。こコルからは、空身で片道20分の登りだ。
 中岳のコルに戻って中岳道を下れば、すぐに行者小屋で、そこからは南沢コースで美濃戸山荘に戻る。この南沢コースは、途中までは平坦な歩きやすい道であったが、すぐに岩ゴロゴロの下りとなり、延々と続くような感じがしてくたびれた。

 美濃戸山荘で、昼食をとり、駐車していた車に乗って八ヶ岳山荘まで下り、汗を流し(500円)、今夜泊めてもらうこととなっている、いずみ平に住む友人の別荘に向かう。翌日のことは、また。

20日
(6:30)美濃戸山荘発、 (8:05-15)赤岳鉱泉、 (10:03-20)硫黄岳、昼食、 
(11:21)横岳、 (12:36)赤岳天望荘、泊
21日
(6:00)赤岳天望荘発、 (6:30-45)赤岳山頂、(7:30)中岳、 (7:43)中岳のコル、
(8:02-07)阿弥陀岳、 (8:27-35)中岳のコル、 (9:08-13)行者小屋、 
(10:41)美濃戸山荘着

2009年9月13日日曜日

宝満山正面登山道


 今週末から八ヶ岳、南アルプス方面に登ろうと計画中ですが、今日はそのための鍛錬登山。といってもいつもの宝満山です。

 正面登山道からは、久し振りでした。車を林道わきに置いて登り始めたら、すぐに登山道が大崩落となっている。登山道として通れないことはないが、車が通れるほど広い登山道が8割くらい崩落している。たぶん先日の高速道路も崩落したあの大雨の時に崩れたのであろう。自然の力は恐ろしい。

 そんな事とは関係なしに、宝満山は初秋の天気に誘われたハイカーたちで大賑わいでした。

(11:25)竈神社上林道発、 (12:35)宝満山山頂、昼食、

(13:04)下山、 (13:44)林道に戻る

火天の城


 朝からの雨で、山登りは中止。散髪と映画に振り向けた。

 久しぶりの映画は、宮大工岡部又右衛門が信長の命で安土城を築城する物語。山本兼一の原作は、第11回松本清張賞を受賞したというから、ミステリータッチかなと思ったが、全く違いました。

 大工の棟梁が様々な人々の支えで化け物のような城を築いていく人間の物語。セットには数百万円の檜の柱を使ったり、台湾にまでロケをしたというから大がかりで凝った創りだ。三時間近くの大作であるが、コンピューターグラフィックも使ったあっという間の面白い作品である。

 ただ、熱演の西田敏行ではあるが、僕はミスキャストではないかと思ってしまった。これは、全く僕の独断だが、高倉健に主演させてみたかった。

2009年9月6日日曜日

倉木山



倉木山(くらきやま 1160m) 

 朝日会の9月例会は、大分県由布院の倉木山に登り、別府に宿泊した。

 倉木山は、由布岳の南にあるなだらかな山で、山頂からは、由布岳の雄大な姿が楽しめるハイキングの山である。旧版の九州百名山(山と渓谷社)には百名山として入っていたが、新版の九州百名山からは落ちている。登山の対象としては、あまりにも簡単だし、これといった特徴もない山だからだろうか。

 由布院の街から国道210号線を由布岳登山口のほうに登る途中から右に細い舗装道路を登っていく。舗装が切れたすぐ先の左に車数台が駐車できるスペースがあり、その先右に登山口がある。

 舗装された林道を少しだけ進むと小さな広場があり、そこからが山道となる。直登コースと巻き道があるが、右に巻き道を進む。

 直登コースは、藪の中の急坂で、最初にこの山に登った時は、下山コースに使ったが、雨の後でズルズルと滑り難儀した記憶がある。
 巻き道コースは、逆に全く緩やかな歩きやすい道ばかりで、登山をするという雰囲気は全くない。全くのハイキングコースである。名前はよく知らないけれど、たくさんの種類の花も咲いており、気分よく歩くことができた。ゆっくり1時間程で山頂である。
 朝日会のメンバーも、ここはアラカン百名山に推薦するとの声も。

 山頂ではあいにくの雲空で、この山の売りとなっている雄大な由布岳の姿も全く見ることができなかった。

 下山後は、彩岳館の温泉で汗を流し、別府鉄輪にある友人の別荘へ。
 いつものとおりの酒と麻雀に興じた。ついてなかったな~。

 翌日は、「かんぽの宿別府」の湯につかって帰宅した。

(10:15)登山口発、 (11:17)倉木山山頂、昼食
(11:50)下山、 (12:44)登山口着



2009年9月3日木曜日

バードランドの子守歌


バードランドの子守歌 クリス・コナー(VO.)

 ここのところ忙しくて、ろくに新聞にも目を通していなかったが、昨日の夕刊にクリス・コナーがガンで8月29日に亡くなっていたと載っていました。81歳だったとのこと。

 クリス・コナーは、白人のジャズシンガーで、僕も好きな歌い手でした。そのちょっぴりハスキーな声で、素直にまっすぐな歌唱はリラックスして聴くことができます。よくスイングしていて、とても楽しくて聴きやすい唄い方だと思います。

 このCDは、アルバムの表題となっている「バードランドの子守歌」を聴きたくて買った一枚ですが、どの曲もとてもいいです。特に2曲目の「WHAT IS THERE TO SAY」は、大好きです。

 今夜は、冥福を祈りながら聴きました。