チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(64年録音)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(84年録音)
元来、快楽主義的な傾向のある私のことですから、時には、美しく哀しい音楽に思い切り浸りたい時がある。今夜はそんな時だった。
そんな時には、今のところやはりチャイコフスキーの「悲愴」を聴きたくなる。
近頃では「悲愴」はムラヴィンスキーのばかり聴いているけれど、今夜は若い頃よく聴いていたカラヤンとベルリンフィルの64年録音盤(レコード)を聴いて、同じカラヤンとウィーンフィルのを聴いた。
ベルリンフィルのは、壮年のカラヤンの、強く、凛とした感じが伝わるし、ウィーンフィルのは、もう晩年のカラヤンの、哀愁が深く伝わってくるような感じを受けました。
どちらのカラヤンの「悲愴」も、今宵も、センチメンタルな感情を満足させ、美しい音楽に心身ともどっぷりと浸ることのできる素晴らしい音楽であった。名曲ですねえ。
カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(64年録音)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(84年録音)
元来、快楽主義的な傾向のある私のことですから、時には、美しく哀しい音楽に思い切り浸りたい時がある。今夜はそんな時だった。
そんな時には、今のところやはりチャイコフスキーの「悲愴」を聴きたくなる。
近頃では「悲愴」はムラヴィンスキーのばかり聴いているけれど、今夜は若い頃よく聴いていたカラヤンとベルリンフィルの64年録音盤(レコード)を聴いて、同じカラヤンとウィーンフィルのを聴いた。
ベルリンフィルのは、壮年のカラヤンの、強く、凛とした感じが伝わるし、ウィーンフィルのは、もう晩年のカラヤンの、哀愁が深く伝わってくるような感じを受けました。
どちらのカラヤンの「悲愴」も、今宵も、センチメンタルな感情を満足させ、美しい音楽に心身ともどっぷりと浸ることのできる素晴らしい音楽であった。名曲ですねえ。